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★週刊読書人、3/22小倉利丸 『週刊ダイヤモンド』3.16(浜矩子評) 『東京人』3月(猪口邦子評)
「アタリの言う「博愛」が、人道、正義、自由、民主主義などを後ろ楯に戦争、軍事介入を事実上無制限に押し進める現在のグローバル化の力の政治に、どこまで対抗できるか、議論すべき論点となるだろう」
★読売新聞、1/13 樺山紘一
「「博愛」が閉塞を破るか──だれも疑いをいれようもない、グローバリゼーションの時代だ。障壁のない、開かれた世界。解放と自由を謳歌しよう。ビジネス・チャンスは、どこにもころがっている。だが、それはたんに市場経済が全世界を自由に支配しただけのことだと、反発もひろがる。同時多発テロにすら、その反映をみるひとがいる。あ.げくのはては、報復の応酬へ。自由を最大限にもとめたうえでの、悲惨な結果か。
フランスの論客であり、かつてミッテラン政権の補佐官もつとめたジャック ・アタリはいう。自由というユートピアの行きづまりであると。ところが、自由を制約するはずの、いまひとつのユートピア理念である平等もまた、効能に限界がきてしまった。社会主義の現実を目のあたりにしたから。
フランス人の伝統をうけつぐかのように、三つめのユートピア原理を提唱する。「博愛」。それは、兄弟としての他者にたいして「喜ぴをあたえる喜ぴ」を、本性とする。放浪する遊牧民のように都市と家族のなかを往来しつつ、他者との連携や相互の扶助をさぐりもとめる。サービスの供与や観光の業務、もしくは歓待や贈与は、博愛の表現である。東洋のことばでいえば、憐憫の情。これこそが、自由と平等とに和解をあたえる唯一のてだてである。
このように論旨をたどってみると、どこか道学者のお説教にもきこえるだろうか。だが、金融からNPO組織、情報ネットワークから社会福祉まで、ひろい分野で有効性を主張できる議論だ。ことによると、博愛とは、フランス革命がうみおとした最大の隠し子だったのかもしれない。そろそろ、適切な認知が必要になっている。’フランス現代思想につきものの、あの破壊的批判性に欠けるという不満もありえよう。もっとも、そんな挑発者は、自由と平等の対立になやみつつ、結局はグローバリゼーションの罠におちる、あわれな二十一世紀人だと嘲笑されるかもしれない」
★東京新聞 1. 6 福井憲彦
「破滅に進まぬためのユートピア構想──2001年9月11日の事件ほど、暴力に対する戦争は、貧困に対する戦争と並行して進めないかぎり、勝利をおさめることができないということを示したものはない。そういう論陣を張りつづけているアタリが、あたかもこの21世紀の不幸な幕開けを予測して書いたかのような短編が、本書である。アタリといえば、ミッテランの懐刀といわれ、フランスのエリート知識人でかつ実務家でもある。市場原理主義的なグローバリズムが行き着く先がどこにあるのか、彼は、悲惨な逆ユートピアの世界をSF的に描く。その世界は、現実になる可能\性が十分あるだけに恐ろしい。では、破滅に進まないユートピアへの構\想は、どうありえるのか。キーワードはフラテルニテ。友愛ないし博愛。いや、単に慈善的な博愛主義ではない。欧州復興銀行の総裁を務めたエコノミストだから、世界経済についての冷徹な見解を踏まえている。自由・平等・博愛(友愛)という理念の歴史を踏まえ、ユートピア思想の歴史を見据えているから、かつてのような未来学的な幻想はない。現世界への危機感にみちた打開への具体的な提起、一種の新たなモラル・エコノミーヘの思いは、十分に読みとれる。もう一つのキーワードは、ノマド。あらたな科学技術時代に浮上している、既存の境界を簡単に乗り越えてしまう、移動しつづける人間タイプ。縄張りへの囲い込みと抗争を忌避し、多様な関係とコミュニケーションを、ホスピタリティを基盤に自在にやり取りする21世紀の人間類型。NPOが世界各地で大きな意味をもち始め、地域貨幣や文化経済が重要な現実性を帯びてきている今、アタリの提言にはたしかに現実性が見える。フランス社会に行動を訴えかけたこの本を、日本はどう捉えられるか。問題は世界共通である」

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