白い街へ

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『白い街へ』表紙\\

書籍名   : 白い街へ リスボン、路の果てるところ
        (シロイマチエ)
著者名   : 杉田敦(スギタアツシ) 著
発行日   : 2002-02-27
税込価格 : ¥2310
本体価格 : ¥2200
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★『ナンクロ館』02年Vol.5
リスボンに魅せられたアーティストを語ることにより、その街が鮮明に描きだされる。まるで、その場に居るかのように静かに吸い込まれていくのだ。リスボン、いやポルトガルに行ってみたくなる。

★『ハイファッション』6月号
「東欧のように内に向かって閉じていることで感ぜられる疎外感ではなく、あまりに外に開かれているからこその孤独。または真っ赤な部屋に暮らすことの狂気ではなく、世界が真っ白であるがゆえに自己喪失の恐怖を待つ街、リスボン。映画『白い町で』に導かれて訪れた辺境の街リスボンに、自分も含めて、A.タブッキやW.ヴェンタース、V.ベンヤミン、C.ヴェローゾたちが、なぜこれほど魅入られてしまうのかを芸術と思想、文学といった文化的パースペクティヴで透視。多くの異名で創作を行った詩人F.ペソアを引きつつ、サウダーデとディアスポラへ丁寧に糸をかけるようにして書き上げた、まさにエッセー=試論と呼べるにふさわしい文化的紀行」

★『Esquire』 02年6月号 大城譲司
リスボンに魅せられたアーティストを語ることにより、その街が鮮明に描きだされる。まるで、その場に居るかのように静かに吸い込まれていくのだ。リスボン、いやポルトガルに行ってみたくなる。

★公明新聞、02/5/27
アーティストたちの軌跡をリスボンに訪ねる――\\\本書はありきたりの観光案内ではない。著者はよるべない旅行者としてリスボンの魅力をつぶやくような語り口で書きつけ、同じくリスボンに魅せられたさまざまな表現者たちの軌跡をたどり直そうとする。
 本書には……数多くの思索者が登場する。本書を読むことが、リスボン=近代の臨界を巡る旅でもあるような構成となっており、アームチェアトラベラーにはうってつけの一冊である。

★週刊読書人、02/4/12 大久秀憲
彷徨の方法で書かれる、リスボンとアーティストたちの白い関係―ペソ\\\ア(詩)、タブッキ(小説)、アラン・タネール(映画)、ヴェンダース(映画)、カエターノ・ヴェローゾ(音楽)、カバコフ(美術)、ベンヤミン(思想)など、彼らに映ったリスボンが語られてゆくのが本書である。著者も毎年月単位で訪れているという。月単位、というところに有段者を感じる。街の細かな描写が全編に見られる。著者は街を歩きながら書いたようである。ただその歩みは散歩のようではない。本書は彷徨の方法で書かれているように思える。リスボンに惹かれたアーティストたちは断片的にしか語られない。著者は「あの白い街にはこの方がふさわしい気がしてならない」という。その方法はそもそも街の要請するものでもあったということであろう。タイトルに読め、いたるところでも触れられる街の色だが、それは大航海時代が終わりヨーロッパにおいて褪せていった果ての色だった。異なった時代、異なった分野が接近し白熱する色だった。諦めと高まりと、コントラストが同じ色のなかで起こっている。その不思議がひとをリスボンへ呼ぶのだろう。

★東京新聞、02/3/24 横木徳久
ヨーロッパの国々に関する書籍は大量に出版されているようだが、実際は特定の国ばかりに集中している。ポルトガルのようなマイナーな国に関する本は意外に少なく、しかもポルトガル語で郷愁を意味する「サウダーデ」に酔いしれて客観性を見失ったものが目立つ。それは、ポルトガル、とりわけリスボンという街が孕んでいる魔力でもある。本書は、このリスボンの魔力にとらわれつつも、分析的かつ思索的な態度を崩さず、この街の魅力を余すことなく伝えている。まず本書は、二つの異なる局面から構成されている。一つは「リスボンに魅せられたアーティストたち」、すなわちフェルナンド・ペソ\\\ア、アラン・タネール、アントニオ・タブッキ、アルヴァロ・シザら詩人や映画作家の作品や履歴に分け入る批評的アプローチであり、もう一つは、リスボンで遭遇する様々な事柄を観察する著者自身の体験的アプローチである。この二つの局面は、しばしば時間の枠を越えて交錯し、脱ジャンル的な空間を生み出している。そして批評面では、ペソアにおけるナショナリズムの問題を言葉への帰属性として捉えるなど、随所に刺激的な見解があり、また体験面では精確な観察によって、コントラストを軸にした「サウダーデ」論が語られ、リスボンの実像が焙り出されていく。「アーティスト」に限らず、リスボンを訪ねる旅行者の多くは、評者も含めて自らの帰属性を疑わずにはいられない。つまりこの日本が「終の棲家」ではなく、リスボンこそ帰るべき場所に思えてくる。こうした感情を、著者は根源的な「寄る辺なさ」として表\\\現している。おおむね共感するのだが、この「寄る辺なさ」という情感へと普遍化してしまうと、ポルトガル・フリーク(心酔者)にありがちな自己慰撫へと陥るおそれもある。むしろ読者には、曖昧な情感ではなく、本書の中から、日本を見切るに充分な価値としてのリスボンを発見してほしいと思う。

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