視覚言語の世界
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| 書籍名 : 視覚言語の世界 |
| (シカクゲンゴノセカイ) |
| 著者名 : 斉藤くるみ(サイトウクルミ) 著 |
| 発行日 : 2002-12-25 |
| 税込価格 : ¥2310 |
| 本体価格 : ¥2200 |
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★03.01.26 毎日新聞 左近司祥子評
手話の便利さ、奥深さの謎に挑む
テレビドラマの手話の扱いを見ていると、騒々しい手話プームは去ったけれど、手話自体は確実に定着したなと感じる。飛行機の、その他大勢の乗客の一人がさりげなく聴覚障害者だったりするからである。
手話習得者は、手話を一つの独立した、独自性のある言語として誇らし気に語る。しかし関心はあっても習得には程遠い私などにとっては、その件からして気にかかる。手話が独立の言語だというのならその根拠は何なのか、そして音声言語にないその独自性とは何なのだろう。
今までにも、手話実践のための本はかなり店頭で見かけた。だが、私のこ問いに答えてくれる本に出会ったことはなかった。この本に期待をかけたのは当然である。
著者は、この種の問いに答えるために一つの手を使う。氏の本の表題には「手話」ではなくて「視覚言語」が使われているのだ。こうすれば、代替手話も話題にすることができる。代替手話とは、諸般の事情で健常者同士が使うことになる手話のことである。たとえば、中世修道院内で使われた手話。静寂を大切にする修道院内では、伝達の手段として音の出ない手話が選ばれたのである。
だから、代替手話は音声言語と手話の中間に位置することになる。それを話題にすることにより、手話が音声言語と連続関係にある言語であることが明らかになるのだ。
手話が言語だとの最終判断は、脳神経科学に依拠することになる。音声言語使用者の身振りは、脳の中の言語野以外のところで生産理解される。だが、代替手話という身振りになると、言語野も関わりはじめる。さらに、これが手話という身振りになったとき、手話が母語の人であれば、間違いなく、全面的に、言語野がその生産と理解の場となる。手話は音声言語と同じ身分のものなのだ。
手話の特徴は、手話使用者が白分の前の三次元空間を「劇場」として設定し、表現を展開できることにある。ここに彼女、あそこに彼と場所を設定しておけば、手で花を作ってそれを動かすことによって、彼女から彼に花をあげるということを花というサイン一つで表\\現できるのである。このことが、指でサインを作る手間にもかかわらず、音声言語と同じ内容をほとんど同じ時間内に伝達可能にするのだ。この事実を、著者は、具体例と、使われる音声言語の数と手話のサインの数の比較とを使って説明してくれる。
著者の若さが小気味良く光るのは、こういった特徴をもつ手話表現にあっては、定冠詞、指示代名詞、be動詞など不要だと言い切り、これらがないから手話は文法的にも言語的にも不備なのだという欧米の研究者に反論するときである。たしかに、不要な語を省略するのはすべての言語に共通な現象である。近代ヨーロッパ語中心主義にとらわれていなければ、自分たちの言語の先祖である、由緒正しく文法もととのっていた古代ギリシャ語でも、「である」の意味のbe動詞は欠けるのが普通だったことを思い出せたはずなのだ。とはいえ、著者が参考文献としてあげた多数の本は、氏の若作数編を除いて英文の研究喜ばかりである。日本はいまだに手話後進国なのだ。
伝達手段にならなければ言語ではない。けれど、美しく、機知に富んだ使い方を工夫する余地がなければ、本物の言語とは言えない。和歌や俳句を体得している日本の研究者には、手話のこの面の解明をお願いしたいのだ。それで初めて手話は一流の古語だと言い切れるだろう。
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