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★「週刊朝日」04/2.27 鎌田慧
「パレスチナ自治区〈ガザ〉の病院に、一年半のあいだ、音楽療法士として勤務した体験を書いた記録である。著者がガザを目指したのは、NGOの一員として働きながら、フランスの専門学校修了の資格を取得するためだが、以前、ガザに下見にいったときに会っていた〈彼〉と再会するためでもあった。(中略)彼女はイスラエル軍の空爆から逃げまわっては夜を過ごし、週末はその被害をビデオに撮ったりする活動をはじめるようになる。パレスチナ人である、〈彼〉との関係からすれば当然のことである。空爆で家を失った家族の話を聞く。その家はイスラエル軍に追われたあと、ようやくガザ地区に築いたものだった。そこの子どもは、数カ月前に、イスラエル兵に腰を銃撃されている。『僕が大きくなったら、イスラエルをつぶしてやる。銃でイスラエル人を殺してやる』と四歳の子どもがいい、本物のインティファーダで負傷した子どもは、こういう。『どうして自分は生きているのか。なぜ助かったのか。パレスチナのために死にたかった』。『生きることが大切なのだ』と著者は説得する。しかし、イスラエルと、それを支援するアメリカが、死に急ぐひとたちを日夜つくりだしている。パレスチナへの愛は、〈彼〉を越えたものになるしかない。」
★「国際協力(JICA)」2004年7月号
「毎日のようにテレビに映し出されるパレスチナとイスラエルの衝突。パレスチナ人の〈自爆テロ〉のニュースがよく伝えられるが、そのほとんどはイスラエルから配信されるもので、パレスチナ側から伝えられることは少ない。このような偏りに疑問を感じた著者が、ニュースとは異なる視点でパレスチナの人々を描いているのが本書。そもそも音楽療法士を目指し、フランスで学んでいた著者は、資格取得に必要な論文を書き上げるため、フランスからそれほど遠くないという理由でパレスチナ・ガザ地区へ。試行錯誤で音楽療法に取り組む傍ら、パレスチナ人とかかわることで考え方も大きく変わったという。知る手段の少ないパレスチナのまた別の姿が浮かび上がってくる」
★「讀賣新聞」2004.1.6「いぶき」インタビュー記事
「フランスの音楽療法士の資格を得るため、実習に赴いたパレスチナについての手記。『パレスチナで起きている問題を身近に感じてもらいたい』との思いからだ。……しかし、1999年10月に赴任すると、純粋な障害児たちや、各国のNGOメンバー、ジャーナリストとの出会いに恵まれた。『パレスチナを立て直したい』という志を持つパレスチナ人の恋人とも出会った。2000年9月には、第二次インティファーダ(パレスチナ人による住民決起)も経験。『パレスチナの人々は、耐える力と前向きに生きる力を持っている』と感じた。宗教的背景の違いなどから、恋人との交際は続けられなかった。手記では、別れの葛藤から見えたパレスチナの生活、習慣、家族関係などをつづった。『ガザ地区での日常を紹介することで、そこで起きている不正を伝えたい』。様々な思いを胸に、パレスチナに『普通の生活』が訪れることを、心から願っている」

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